LGBT支援についての思い

 LGBTとは、性的少数者を表す言葉であり、メディアや各企業の支援活動、啓発イベントなどを通し、ここ数年で多くの人が一度は耳にしたことがある言葉となりました。

 

 そのLGBT当事者の割合は、現在13人に1人とされており、もはや性的「少数者」とは言えなくなってきています。ここでは、LやGなどそれぞれのアルファベットが意味する種類分けについて詳しく書きませんが(検索すれば情報が溢れています!)、全種類を完璧に挙げることはとても難しいのです。最近では、ここにQを付け足して表現されることもありますし、海外ではLGBTTQQIAAPとさらに続く表現もあります。これに関しては、人類が誕生し続ける限り、並行して増え続けていくものだと思われます。

 

 ところで、当事務所も今年からレインボーフラッグを掲げているのですが、私自身がLGBTを理解し支援者となったのには、その根底に「シングルマザー」に対する先入観や偏見に嫌悪感を抱いているというのがあります。どうも結び付きようのない2つのようですが....

  私は俗に言われるシングルマザーであり、しかも未婚のまま出産しました。さて、ここまで読んで頂き、「かわいそう」「苦労している」「生活が苦しい」「大丈夫?」というワードが、どれか一つでも思い浮かびませんでしたか?私は、この中でもとくに「かわいそう」「大丈夫?」このふたつがイヤなのです!そしてこれらの言葉の裏側にあるのは、「不要な援助」なのです。

  「シングルマザー」とひとことでいっても、その状況は様々です。子供の数が違えば、生活環境やその背景(実家の生活水準など)も違う。健康な母もあれば、体の弱い母もいる。本当に援助の必要な家庭もあれば、まぁまぁ頑張れている家庭もあるし、バリバリ余裕で暮らしている家庭もある。この状況を把握していないのに、一律一概に不要な援助や心配はしてほしくないと思うのです。

 

 私は出産後、ある会社に転職が内定しました。その代表は、私の生活状況にも理解を示してくれ、それに合わせた勤務シフトを考えてくれました。この会社なら長く勤められそうだなと、期待していました。ところが、勤務開始の数日前にその会社の総務部からある連絡があったことで、その気持ちは一気に吹き飛びました。

 「今日ハローワークに求人票を出したので、そこから(私が)応募して採用するかたちにしたいから協力してください。くれぐれも既に採用になっていることは伏せておいてくださいね」とのことでした(私はもともと別の媒体から応募していました。)。

 これは、「ひとり親の就業」を支援するハローワークの取り組みで、ハローワークに求人票を出していて、これを通じてひとり親を雇用すると企業に助成金が渡るというアレだったのです。たぶん、総務部の方が私の履歴書から「ひとり親」であることを察し、資金稼ぎに欲が出たのだと思いますが、こちらとしては〝利用された” という気持ちしかありません。この会話中に助成金のことがすぐに浮かび、そしてキレました(心の中で。)。

 もともとそういう支援を積極的に行っている企業ではなかったのです。私を採用後にわざとらしくハローワークに求人票を出したんですから!そんな企業に税金を流してたまるかっ、ですよ。こっちはなるべく児童扶養手当を受けなくていいようにバリバリ働こうと思ってたんですから!もちろん、その場で採用辞退の意思を伝え、電話ぶち切りです。これが「不要な援助」その1です。(ひとり親を雇っていますという、外部への偽善アピール)

 

 あとは本当に細かいことなんですけど、その5ぐらいまであるかな。相手にとっては、私のことを心配してその言葉をかけてくれたり、そのように助けてくれようとしたりしているのですが、それを受ける側としては、「その言葉でよけいに傷ついたわ(怒)」、「別にそこまで困ってへんで(笑)」ということも多々ありました。

  本当に大変なときはこっちからお願いするから、そのときまでそっとしておいて。変な憶測せんといて。そう感じているのです。

 生半可な理解のまま支援の手を差し伸べることは、かえって相手を傷付けてしまうことにもなりかねません。私は、以上のような経験をしたので、自分が誰かをサポートするときには、公然のイメージに頼ることなく、その人個人をきちんと理解することから始めようと決めているのです。

 

 この気持ちは、きっとLGBT当事者にも通じるのではないかと思っています。

 「社会的弱者」と位置づけられがちなシングルマザー、「性的少数者」とされているLGBT当事者。手を差し伸べようとする人は多いけど、それはもっと個々の本質を理解してからにしてほしい。そして、腫物に触るように勝手に憐れまないでほしい。「グイグイ系」の援助ではなく、「見守り系」でいてほしいのです。「理解しているよ。困ったときは何でも言って!」程度のスタンスでいてほしいのです。

 大都市を中心にLGBT支援が動き始めていますが、きっとこの延長線上には、「LGBTについて理解を示し、戸籍上の性別と見た目とが違う人を雇用したら助成金」みたいな策も出るでしょう。そして、もともと支援の意志はないのに助成金目当ての企業も出てくるはずです。きっと出る。

 

 たとえば、「こども110番の家」をご存じですか?外出中に困ったとき、怖い人に付きまとわれているときなどに、「この家に助けを求めてね」という印として、玄関先に黄色いフラッグを掲げています。主に、通学路途中にある一軒家や店舗に掲げてあるのをよく見かけます。このような分かりやすい支援表明は、必要だと考えています。

 LGBTでいうとレインボーフラッグです。啓発活動に取り組んでいる企業や自治体は、名刺や名札など、どこかしらにレインボーマークを表示しています。それは、LGBTについて理解していて、協力体制があるという目印になり、当事者は理解されていることを前提に、契約や手続きなどの本題に入ることができるのです。

 だから、このフラッグは大々的に掲げなければなりません。ふたたび、こども110番の家に例えると、いざというときに助けを求めやすいのは、やっぱりフラッグの掲げてある家だよね、ということです。

 ただし、レインボーフラッグの場合は、グイグイこちらから支援を押し売りするのではなく、本当にたいへんなときにこそ、SOSをよみとったときに、サポート体制に入るのです。

 

 今回は、私の思いを一気に書き上げた感じなので、やや感情的な文章になったかな?

まぁ、そんな思いがあるのです、私には。

 

 「ささいな違いが、大きな問題となるべきではない」

これは、LGBT啓発のために海外メディアが発信しているメッセージ。ほんと、そういうことなのです。